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この頃の戦争の流れってさ

この頃のテオンの戦争の流れってさ
ぱっと見群雄割拠の様に見えて
すでに戦乱の世は終った関が原後の状態みたいですね
言うなれば1600年の関が原後、1614,15年の大阪冬、夏の陣の直前の様な状態・・・

太閤秀吉という巨大な中心が倒れた後、秀頼を守り立てるべく譜代の大名達が力を合わせる
・・・様に見えて

徳川家康がその力を持ち始める
ある意味なりふり構わない様でいて、決してまとまって敵対する大義名分を与えない。敵対を多く作る様でいて、その説得力を低くしていく事でまとまりにくくする
それでいて敵対すると勝てる相手では無い、と常に力を持っている事を、大々的に示すのではなく暗に示す事で精神的に敵対しにくくさせていく。敵対大名を連合させない様にしむけていく・・・・むしろ孤立させてしまう。

豊臣譜代の大名達は皆決して諸手を上げて徳川家に従った訳ではなく、それぞれが反目したりして気付いたら結果として徳川家へ従っていく訳です
それぞれが○○家に敵対するので。とか言い訳を言いつつ、結果として従っていく・・・

そして全てが終って居る事に気付いたのでは無いでしょうか
関が原の合戦のまさにその時
本来駆けつけてくるはずの友軍は静観したり
逆に敵として徳川方と共闘して来た訳です

まさに武田信玄の言葉ではないですが人という石垣が崩れ城が崩れていた事に気付いた時、もはや手遅れだった訳です


まさに手足をもがれた様な豊臣秀頼ですがまだ大阪城には無視出来無い戦力があるのです
ソレを口実をつけてもいでいく徳川家康
それでも大阪城に残った人間は徳川家にはなびかないでしょう。
その様な今の状態に、

ゲームそのものを続ける気力を萎えさせる行為を繰り返される。
まさにそれは
城に溜めた軍資金をじわじわ消費させられ、冬の陣で堀を埋められた丸裸の城に他ならないのではないでしょうか

もはや趨勢は決してしまったのでしょうが
それでもまだ徳川にとって秀頼が健在であるのは脅威になりかねない部分でもあるのではないでしょうか
今現在「敵対ではない共闘」状態の大名家を団結させてしまう様な「何か」でもあればまだ幕府は安泰ではないでしょう。
ましてや秀頼ではない他の旗印が無いとも限らないのがゲームの世界ですから・・・・
まさに薄氷のバランスと言えるのではないでしょうか

巨大な突出した勢力。ソレに次ぐ勢力。そして周囲の虎視眈々と狙う勢力
第三勢力は今はみな言い訳しつつ従っている状態ですから・・・・


と、ふと大阪冬、夏の陣とかの話を見てて思った事でした(゚∀゚)ノ
by irregular000 | 2007-02-13 01:03 | リネのその他
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